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​クリエール浜田椎田斎場について

 昭和11年、クリーニング浜田・浜田商会として産声を上げた弊社は

足掛け87年になります。

 

 祖父(浜田三次)の時代にクリーニング店「ハマダドライクリーニング」として開店し、

その後お寺での葬儀の花輪をお供えする仕事を始めましたのは、

昭和38年のことであったと聞いています。

クリーニング店だけでは食べて行けず、

田川市まで祖母(浜田サキエ)が修行に行き花輪の作り方を学んで来たそうです。 

祖母が50才の頃です。

クリーニング店も造花店(広善社)も ほどほどにうまく軌道に乗り、

葬儀の仕事にも慣れ 少しづつ忙しい日々を過ごしていました。 

年中無休の仕事となり、父(浜田宏侑)と母(珠美)は父の兄弟と一緒に力を合わせて、

少しづつ会社を大きくしてきました。

 しかし昭和63年、店・家屋とも火事になりました。

全焼でございます。

お客様やご近所の皆々様に大変ご迷惑をおかけし、心からお詫びする日々でございました。

未だに申し訳なく思っております。

弁償もさせていただきました。

もちろん、十分ではなかったにせよ皆様にお詫びとして、

また、この地でもう一度お商売をさせていただくために 

精いっぱいの気持ちでした。

その時、

葬儀の造花店の阿弥陀様が奇跡的に焼け残ったのです。その阿弥陀様は「木」で彫られていました。

私達は、わらをもすがる思いでした。これが、私たちに与えられた道なのだと。

月日がたち、そのことを忘れられている方も多くなりました。

しかし、

私共は忘れません。どんなにかその時に皆様に感謝したことか。

辛い言い方をされたお客様もいらっしゃいます。けれど大半は、頑張れよ!弁償なんかはいらん!

その代り、この地に居続けてまた盛り返したらいい。応援してるから!と。

隣のおじちゃんが、角を曲がった先のお祖母ちゃんが。買い物先で出会ったおばちゃんが、

そう言ってくださいました。

だからこそ、最後の最後は私達クリエール浜田で 

素晴らしいお葬式を挙げてさしあげたい。恩返しをしたい!との思いでいっぱいでございます。

火事から約10年後の平成9年、クリエール浜田・椎田斎場は誕生しました。

これもまた、お客様のご要望により「家での葬儀は大変だから、何とかしてくれんかね?浜田さん。」

との、要望にお応えたした形で斎場が誕生。

約26年が経ちました。

​また

平成29年10月には満を持して「別館」が誕生。

​現在の社長になってからは19年が経っています。

これもひとえに皆様のお陰です。

家族・親族を始めスタッフ、近隣の皆さま、

かねてよりお付き合いいただいている代々のお客様のおかげさまで毎日を過ごさせていただいております。

​心より感謝しています。

 

これからも 応援して下さる方々の為に 

最後の儀式は気持ちを込めて、全力であたらさせていただきます。

そんな思いで葬儀屋を続けております。

​             

           感謝

 

有限会社 濱田商会   

​三代目取締役 中村浩一

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